キスがはじまる。
mixiに読みたいTEXTがあることを知っていたけれど、
招待状を持っていなかったから、入ることが出来なかった。
オレから「招待してくれ」、と言うほど
オレは格好悪くない。
かとぱぱが招待状を送ってくれたので、
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=132783
ここに入ることが出来た。
期待していたTEXTは、
ああ、このことは...、
ここで書きたくないこともあるんだ、
書きたくないこともある、なんて
なぜ書いているかというと、
書きたくないということが、重要だと思っているからです、
その書きたくない部分を除くと
ゴミみたいなTEXTばかりだった。
「切実なものの存在無しに、感じるTEXTは書けない」
と、オレは思っていて
mixiの招待制による排他性は
切実なものを的確に奪う。
「何をもって満足したらいいのか」
「安心したい他人を許容してよいのか」
なんてたぐいの切実に立脚した
オレの期待したTEXTは、ここには無かった。
mixiが30万人だったころ。
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いまごろmixiは、ようやく100万人だ・な。
(いくつもアカウントを持っているヒトもいるとは思うが)
100万人といえば、おおむねニホン語圏として
mixiはサーチエンジンの外側ということのみの
サービスとなった・か。
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切実な現実に直面している毎日を
自ら認識は出来ない。
だってそうだろ。
時間は自動的に流れていて
その1秒1秒ごとに何をするかを自ら意思決定してゆく、
その連続、それをどう切り取っても
じつはなんらかの切実があるはずだからな。
だから、その切実は
他人がその他の他人との比較において
どんな切実でどの程度の切実だと感じて
はじめてその切実は独立したそのヒトの切実だと
他人のココロに刻まれる
他人のココロに刻まれる なんていい方は嫌いだった、
なぜって、曖昧じゃないか、
その切実は独立したそのヒトの切実だと
他人に記憶される。
愛しいと感じる切実に出会う。
記憶されたその切実が
愛しいと感じて、恋愛は始まる。
キスはこうして始まる。
セックスはこうして始まる。